木村匡也(きょうやブログ)ThePowerOfVoices

きむらきょうや(木村匡也)のブログ・ナレーター 声で生きる

小辻節三(こつじ・せつぞう)ユダヤ難民を救ったもう一人のヒーロー

小辻節三(こつじ・せつぞう)を知ってますか?

 

杉原千畝の「命ビザ」で、4000人〜5000人ものユダヤ人難民たちが、命からがらリトアニアから日本にやって来ました。しかし日本に着いた彼らはまだ「安全」ではありませんでした。

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命のビザ リトアニア カウナス

 

というのも、、、、

 

杉原千畝が必死に書いた命のビザは、わずか10日〜14日間しか日本に滞在できないものでした。このビザが切れたら、ユダヤ人は強制送還されてしまうのです(法的にそうなります)

 

たった2週間で、受け入れ先の国から入国許可をもらい、日本で外国船を予約して出国するなんてことは、到底不可能です。← 昭和15年(1940年)の話ですよ。

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どうなる?どうなった?

どうやってユダヤ人たちは、ビザが切れた後も日本に滞在して、その後の受け入れ先である、アメリカやカナダや上海に脱出する準備を整えたのでしょうか?

 

知られざるヒーロー小辻節三

誰かが、日本にたどり着いたユダヤ人のために、ビザが切れた後も、日本に滞在できるように工作したのです

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当時パソコンはねーよ!

 

 

ユダヤ人たちを、ドイツに強制送還させないように必死に守った人物がいたのです。

 

それが小辻節三(こつじ・せつぞう)です

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ダンディっすね〜小辻節三

この小辻節三のような人がいなければ、多くのユダヤ人たちはドイツやポーランドに強制送還されていたでしょう。

 

まさに杉原千畝の命のビザを、受け継いだ人がいたのです

 

義を見てせざるは勇無きなり

この言葉は、小辻節三が子供の頃から生きる信念として強く心に抱いていた言葉でした。

 

困っている人を見捨ててはいけない。

 

正しいと思ったことは簡単にあきらめてはいけない。

 

それが小辻節三の信念でした。

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義を見てせざるは勇無きなり

 

そんな小辻節三の元に、一通の「助けを求める」手紙が届きます。

 

神戸のユダヤ人協会からでした

1940年昭和15年11月12日のことでした(この文章は2020年11月に書きました)

 

ユダヤ難民たちを助けてください

 

なんという偶然の思いつきでしょうか!?

 

あるユダヤ人が、満州で小辻に会ったことを覚えていたのです。

 

流暢なヘブライ語で演説をしていた日本人 小辻節三を覚えていたのです。

 

「彼なら、我々の仲間を救ってくれるのではないだろうか?」

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ユダヤの帽子「キッパ」byいらすとや

 

こうして、命を救うための、細い細いクモの糸が降りてきました。

 

これは、ユダヤの神ヤハウェのおぼしめしだったのでしょうか?不思議な偶然から、神戸のユダヤ人たちは小辻節三を頼ってきたのです。

 

 

義を見てせざるは勇無きなり

 

たまたまユダヤ人たちが頼ってきたその男は、権力もなにもない、ただのベブライ語の学者でした。しかし、この男は義心にあふれる「正義の人」だったのです。

 

小辻は早速行動に移ります。まず、ウラジオストックから福井県敦賀に向かう船の中に数十人(72人との説あり)取り残されていたユダヤ人がいました。

彼らを、日本に入国させなければ!

 

日本海をさまようユダヤ人

 

ウラジオストックで、気骨の漢「根井三郎(ねい・さぶろう)」がユダヤ人難民を助けるため、独断で発行した入国許可が認められず、日本に上陸できないユダヤ人たちが70人ほどいました。

 

www.1103kyoya.com

 

かわいそうに彼らは、日本とウラジオストックを船で行ったり来たりしていました。これをまず救出するため小辻節三は外務省に掛け合いに行きます。

 

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もう限界だよ〜助けて!

外務省で、散々タライ回しにされましたが小辻はめげませんでした。今でもどういう方法を使ったのか分からないのですが、小辻の必死の説得が功を奏して、なんと外務省から上陸の許可がおりたのです(奇跡です!普通あり得ません)

 

この72人の海上をさまよっていたユダヤ難民はようやく福井県敦賀に上陸しました。

 

外務省の恫喝

さあ次は、5000人のユダヤ人たちのビザの延長のお願いです、、、、

 

しかし

 

外務省の役人は、小辻に念を押しました。2度と、ユダヤ人の滞在ビザの延長の話は持ち込むなよ!2度とだ!いいな!

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ウチもやべーんだよ!

 

小辻節三が、ユダヤ人救出のため、外務省の中を駆けずり回っていたのは、1940年の11月のこと。

 

実は、外務省には、もう何もできなかったのです。すでに締結されてしまった三国同盟(1940年9月締結)があるため、同盟国ナチスドイツの政策に反することは出来ません。

 

その上、軍部 が外務省に圧力をかけており、外務省が軍の意向に逆らうことなど出来ませんでした。人道主義を理由に、ユダヤ人の滞在ビザを延長するなんて到底不可能でした。

 

ナチスも、たくさんのユダヤ人が日本に逃げたことを知って、とびっきり凶暴なSS(親衛隊)の将校「ワルシャワの虐殺者」と恐れられた、ヨーゼフ・マイジンガーを日本に送り込んできました。

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この男〜残酷すぎるため日本に左遷されたとも

 

もし?

 

もしここで小辻があきらめていたら、、、、日本はどうなっていたでしょう?

 

日本も、間接的にユダヤ人虐殺に加担した加害国になっていたかも知れません。そんなことが、もしあっていたら、考えるだけでもおぞましい話です。

 

義を見てせざるは勇無きなり

 

小辻節三は、最後の切り札を使います。この切り札は、ヤハウェの神が小辻節三に与えた「一切れのパン」だったのでしょうか!? 果たして…

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「一切れのパン」中学の教科書で読んだな。

 

 

松岡さんに…外務大臣、松岡洋右(ようすけ)さんにお願いしてみよう。

 

どうしてこんな奇跡的なつながりがあったのでしょうか?鎌倉の海岸でのんびり暮らしていた、無名の宗教学者、小辻節三は、ときの外務大臣松岡洋右と知り合いでした。

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国際連盟脱退、三国同盟締結、日ソ中立条約、の松岡洋右

 

外務大臣になる前、松岡洋右は、満鉄の総裁でした。

 

満鉄!(まんてつ)

南満州鉄道株式会社:それは単なる鉄道会社ではなく、満州における全てを牛耳っている超ウルトラコングロマリット企業でした。

 

炭鉱開発、製鉄、農業、港湾、発電、ホテル航空映画、など多様な事業を展開し、なんと税金までとる権力を持っていたのです。

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満鉄のシンボルだった特急「あじあ」

当時、中国や満州にいたユダヤ人たちに接触し、アメリカのユダヤ人を動かそうと考えた松岡洋右は、その秘密作戦を遂行するべくユダヤの文化に詳しいエキスパートを探していました。

 

昭和10年頃、ほぼ唯一、ただ一人、日本にいたユダヤ文化の専門家…

 

それが小辻節三だったのです

 

小辻節三は、昭和2年から4年間アメリカに留学し、旧約聖書、ヘブライ語、ユダヤの文化・風習を学び、なんと博士号まで取得していたのです。

 

もちろん当時すでに、キリスト教の神学校で、牧師になる勉強をしていた日本人クリスチャンはいましたが、

 

旧約聖書とヘブライ語などを専門的に学んだ「博士」は小辻節三ただ一人だったと思います。(いたら教えてください)

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小辻節三が師と仰いだ「バデー教授」

 

小辻節三は、松岡洋右の度重なる要請を受け、(なんども断っているのですが)ついに折れて、昭和13年満州に行きました。

 

そこで、満州や上海にいるたくさんのユダヤ人たちと交流を深めたのです。

 

このときたまたま「ヘブライ語」で演説をした小辻節三のことを覚えていたユダヤ人が神戸にいたのです。

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おーあの日本人、ヘブライ語しゃべっとるやんけ!!

 

なんという細いクモの糸でしょうか!?

 

この細い糸をたぐり寄せ、神戸のユダヤ人たちは小辻節三という男を頼ったのです。

偶然にも、その小辻節三は、今の外務大臣の知り合いでもあるのです。

 

これは神(ヤハウェ)の引き合わせでしょうか?

 

小辻節三は松岡洋右に会います。

 

国民的スター松岡洋右

松岡洋右(まつおか・ようすけ)という人は、歴史教科書の中では、国際連盟を脱退したり、三国同盟を結んだり、なんとなく悪いヤツな感じのイメージがありますが、それは戦後のことです。

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連盟よさらば(昔は逆から読むからね)

 

この人は、演説をやらせたら天下一品、何時間でも熱く喋り続ける天才演説家でした。論議ならヒトラーにも負けなかったほどで、実際にドイツでまじ卍でヒトラーを論破したこともある、熱弁家なのです。

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ワシ、松岡スカん!

11歳で渡米してアメリカの大学まで学んだので、英語はネイティブなみに堪能。当時の最先端の機械ラジオが産んだ最初のスターといっても良い人です。

 

その人気にあやかって近衛文麿が外務大臣に任命したほどの、超がつく人気者だったのです。

 

今でいうと、橋下徹、ホリエモン、を足して、さらに10をかけたような人でしょうか?そのくらいエネルギーの塊みたいな人でした。

 

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わーお、どんなバケモンだよ(笑)

しかし、外務大臣、松岡洋右は、小辻節三にこう言いました「君の言う通りにしたらドイツとの関係は面倒なことになるかもしれないな〜」

 

事実、この松岡洋右こそが、リトアニアの杉原千畝に対しビザを発給するな!と命令している外務省のボスなのです。

 

さらに松岡は冷たい言葉をつなげました。「君とユダヤ人協会が、難民のためにどう動こうがそれは無意味だ」

 

「ビザ問題については外務省はすでに政策を決定していて、それを遂行するように軍部から圧力がかかっている」と 

 

もはや外務大臣の力をもってしてもダメなのか?

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満鉄時代、松岡は満州にユダヤ人を入国させた人だったのに

 

しかし、、、、論議なら誰にも負けない、演説の達人は、こんな秘策を小辻節三に提案してきたのです。

 

1つだけ可能性がある。

 

ユダヤ難民のビザを延長させる権限は、

 

神戸の自治体にある。

 

自治体の行うことに政府は基本的に関与しない。地方自治体に任せっぱなしだ。もし君が自治体を動かすことができたなら、外務省はそのことを見て見ぬふりをしよう。

 

そして演説家らしく、こうも付け加えた。

 

「それは友人として約束する」

 

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ひとすじの光が!!!

小辻節三は、ユダヤ人の滞在ビザの権限をもつ神戸に向かいます。

 

そして自治体、特に警察を説得し、15日間のビザの延長を勝ち取ります。

 

その15日後には、さらに15日の延長を。そしてさらに15日の延長を、、、(この無限ループを繰り返します)

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命のビザをつないだ人たち

 

 

遠くリトアニアの地で、杉原千畝が書いた命のビザ。

 

そのビザは

 

バトンを受け取った

小辻節三という人によって、、、

 

延長されたのです。

 

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杉原千畝とその新しい記念碑

 

5000人以上とも言われる、ユダヤ人難民たちは、アメリカ、カナダ、そして上海に旅立って行きました。

 

もし小辻節三が諦めていたら

もし小辻節三が諦めていたら、日本も、間接的にユダヤ人虐殺に加担した加害国になっていたかも知れません。ホロコースト記念館に、加害者として展示されていたかも知れません。

 

ほとんど全てが戦争に向かって驀進していた時代。結局、昭和19年には小辻節三も憲兵隊から出頭命令を受け、尋問を受けています。

 

この小辻節三がもし 義を見てせざるは勇無きなり、という信念をもっていなかったら、どうなっていたのでしょうか?

 

私たちは、もっと小辻節三に深い敬意と感謝の気持ちをもつべきです。

 

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テレビというメディアは、このようなヒーローの話を取り上げません。なぜだか?わかりませんが…私もテレビの内側の一員として恥ずかしいですが。

 

ぜひ、ネットで知ったみなさんが拡散してください。是非是非よろしくお願いいたします。

 

そして、ぜひこの本を読んでくださいね。もっともっと面白い話がたくさん載っています。

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小辻節三 1973年 没

 ユダヤの神のおぼしめしでしょうか?ユダヤ教への思いが抑え難くなった小辻節三は、戦後イスラエルで正式にユダヤ教徒になり、名もアブラハム小辻と改名しました。