岡村さんまた立ち上がれ!
とんねるず石橋さんの番組に出て、薪を焚(く)べながら、ゆったりと、いろんな過去のことを語っている岡村さん。楽しそうに河田町時代のフジテレビの話をしている
めちゃイケは、振り返ってみれば「片岡飛鳥」学校だったな〜と岡村さんが言った。本当にそうだった。つくづくそう思う。そうだったよな!?〜な岡村さん!と感心したり…またあの頃が懐かしくなったり。
クラっときた一言
石橋さんの質問に答えながら岡村さんが言った。
確かになかなか30%取るっていうのはアレ(大変)でしたけど。『めちゃイケ』に関しては、とにかく必死でやっていました…聞いてるウチにこっちが思わず、目がうるうるなってしまった。
とにかく必死でやっていました…
とにかく必死でやっていました…
とにかく必死でやっていました…
本当に我々も必死にやってたし、それしか表現しようのないような番組だった。そしていつも全力の、いや全力のちょっと先を求められる番組だった…監督もスタッフも生活が「めちゃイケ」一色だった。
ギリギリ、全部ギリギリ
土曜日のお昼にナレーションを録る。土曜日の夜の放送する番組のナレーションを土曜日のお昼に録っているなんて… 今ではあり得ない。
今では絶対に出来ないだろうな〜
今では絶対に許されないだろうな〜
絶体絶命に「追い込まれる」大切さ
めちゃイケのナレーションは、いつもリハーサルはなし。全部一発で録音していくものだった。誰かがそうしろ、と言ったわけじゃないのだ。時間がないから、みんな焦って自然にそうなったのだ。みんなが「納品」に向けて全力で闘っていたのだ。
私でいうなら、
1秒でも早く「OKのナレーション」を録ることだった
最初は、リハーサルなしで、一発 OKなんて出来るか!?と誰もがビビって出来ないと思う。
しかし、、、不思議なことに!
人間は「適応」していくものなのだ。
だんだん一発で全部オッケーになっていく。しまいには、全部一発取りの一発OKになる。不思議だ。
ギリギリの環境は人を育てる。人間というものはギリギリの場所に「追い込まる」ことが大事なのだ〜とこのとき実感した
めちゃイケをガンガンやっていた時のワシはいつもピリピリしていたらしい。今になって当時の人に会うと、あの頃は怖かったですね〜と言われる。本当にお恥ずかし限りだ。ほんますんません。
一人で悩んでいた岡村さん
岡村さんは映画をやってて、その撮影の中で、「自分がなんにもできてない!」と思うようになっていった。岡村さんは、真面目な性格だ。これじゃいかん!とアガいてるうちに、次に舞台をやることになった。
舞台にもさらに真剣に取り組んだ。計画して、台本とか直して、演出家や監督の要望にも応えようと必死になった。ところが、岡村さん自身が納得いかない。こんなんじゃダメだろう!?という強迫観念が頭から離れない。
「出来てない!」というその状況が許せなかった。じゃあ、どうしたら「出来るように」なるのだろう?悩み続ける。しかし答えは出ない。出ないまま時間だけが過ぎていく。
そのうち寝られなくなってしまった。そこから一気に気持ちが下がっていく…
人には出来ることと、
出来ないことがある。
出来ないことは、ゆっくりと手放してもいいんだよ…と誰かが言ってあげれば結果は違ったかもしれない。出来ないことは、出来ないでいい、と岡村さんが思えれば結果は違っていたかも知れない。
その時の岡村さんは一人で悩んでいた。
そして体調を壊してしまった。
今焚き火を焚べながら、とんねるずの石橋さんとしゃべっている岡村さん。
休養を経て、「自分のできること、できないことがわかってきましたし、全部背負うとしんどくなるって。あれがなかったら、ホンマに普通に今もずっとピリピリしたままやったかもしれないですね」と言った。
「抜くところを抜く。頼る時は頼る」
それでいいのだ。
今、岡村さんは失言問題に直面している。ラジオでの生放送で女性を傷つける発言をしてしまった。そのことはまだ現在進行形なのだが、、、、今回の岡村さんは
一人で悩んでいない…矢部がいる
矢部くんが一緒にいてくれる。ナインティナインのオールナイトニッポンとして2人で問題を考えている。
5年8ヶ月休んでいたオールナイトニッポンに再登板してくれないか?と頼まれたとき矢部くんは快諾したという
岡村さん、今度は一人じゃない。
大変だけど、しっかり謝って、反省して、この局面を乗り越えてきて欲しい。岡村さんは、一人じゃない。
岡村さんが立ち上がるように、今度も立ち上がってくるように、それを祈っている。