志村けんさんが亡くなってもう6日。まだ悲しい。志村さんと直接仕事をしていた人から聞いたウラ話を書く。あなたもケンさんいなくなって淋しいでしょ?分けてあげる
- 8時だョ!全員集合の元AD
- 志村さんにぶっ飛ばされた話
- ADの試練「前説」
- 武術の発勁(はっけい)と同じワザ
- 悩み苦しんだ「全員集合」後の志村さん
- 吹っ切れた60代の志村さん
- 志村さんは人生これからだった…
8時だョ!全員集合の元AD
1994年ごろ「Sさん」という人と知り合った。とても人当たりの優しいSさんは、元「8時だョ!全員集合」のADだった。
人気番組 8時だョ!全員集合が終了したのが1985年9月だから、約10年が経っていた。ワシが知り合った頃Sさんはもう立派なエライ人だった。
このSさんにいろいろと志村さんの話を直接聞いたことはワシの財産である。本当にいろんなお話を聞かせてもらった。いいことも悪いことも、、、
志村さんにぶっ飛ばされた話
ドリフのADをやった人たちは、多かれ少なかれ、みんな志村さんに「ぶっ飛ばされた」経験があるはずだ。あ、「殴る」って意味での「ぶっ飛ばす」って意味じゃないよ。
文字通り志村さんから、舞台上で数メートル向こうまでぶっ飛ばされたのだ。それほど志村けんや加藤茶さんのツッコミはパワフルだったのだ。
ADの試練「前説」
ADさんは8時だョ!全員集合が始まる前に「前説(まえせつ)」をやらなければならなかった。〇〇市民会館、XX公会堂、〇〇県民ホール。もうどこへ行っても会場は、ドリフを心待ちにしている子供達でいっぱいだった。
Sさんももちろん子供たち相手の前説に挑んだ。
拍手の仕方、笑い声の出し方、驚いた声の出し方、志村後ろー後ろー、カラスの勝手でしょ?などなど、お客さんにある種の「リアクション練習」を楽しく指導するのがADさんの役割なのだ。
ところがSさんはウケなかった
全くウケなかった…すると!?
なんと志村さんが突然舞台にやってきたのだ
子供達はもう大喜び。
喜びすぎておしっこもらした子供もいたかもしれない
それくらい場内はヤンヤヤンヤの大騒ぎになった。
志村さんは、ウケないADを見かねて出てきたわけだが、もうそれだけで舞台上は大騒ぎ。いきなり志村さんとダメダメADのコントになった。
お前、声が出てないな。大きな声出してみろ!
(できないAD)
じゃあ、これやってみろ
(できないAD)
なんだよ、じゃあこれくらい出来るだろ?やれ!
(できないAD)
なんでこんなことも出来ないんだよ!?
(大爆笑!!!)
こんな即興コントが出来上がり〜子供達は大喜び
子供達の笑い声で、ADが釣られてニコニコしていると
「バカやろう!お前が笑ってんじゃないよ」
とドリフターズ仕込みの志村ツッコミが炸裂!
志村さんのツッコミは、ホホのあたりを手のひらで押し出す感じのツッコミなのだが、これが相当パワフルなのだ。本当に、志村ツッコミは体が数メートル吹っ飛ぶくらいに激しかったらしい。
知らなかったでしょ?
受けたADのほとんどは2、3メートル向こうまでぶっ飛ばされて、、、ぶっ倒れた。
つい先日の志村けん追悼番組で、それを見た!
これだ
すごい!これぞ志村ツッコミだ。
舞台ではそのくらい大きな動作じゃないと伝わらないのだ。関西風のマンザイのツッコミはこんな感じだが
ドリフのツッコミは、体全身で相手がぶっ飛ぶツッコミなのだ。
でもこれが全然暴力って感じじゃないんだ。それがすごい
武術の発勁(はっけい)と同じワザ
これはある種の武道のワザ「発勁」と同じかもしれない。見てる人も、ツッコミを受けている人も、それがそんなに強力なツッコミと分からないのだ。
このツッコミを受けたADはフラフラ、でも子供達は大笑い!そう痛そうに見えないのだ。だから笑いとして使える
合気道とか空手の達人にこの発勁(はっけい)とか寸勁(すんけい)というワザを出来る人がいるが、、、、
そういえば、そういえば、そういえば!
志村けんは柔道の達人だった
志村けんは柔道の達人だった
志村けんは柔道の達人だった
お父さん(志村憲司さん)はもっとすごい柔道の達人!柔道五段!だった ←五段ってあんまりいないよ
志村けんさんのツッコミは、見てる人が、受けてる人が、そんなに痛く感じない「わざ」だったんだと思う。
悩み苦しんだ「全員集合」後の志村さん
志村さんはキビしかった面もあった。特に、8時だョ!全員集合が終わった後の志村さんが、一番キビしかったという…ワシはそう聞いた。
それまではいかりやさんがリーダーだったから、長さんが全部ネタを決めていた。志村さんがあまり面白くないと思うギャグでもやらないといけない。でも今度は志村さんが全部考える立場になった。
作家、スタッフ、芸人仲間、いろんな人たちがネタや台本を書いてくる。だが、それがことごとく志村さんのやりたいお笑いじゃないのだ。そう感じるのだ。リーダーの苦しみなのだ。
自分がやりたいお笑いが出来ない。
自分のやりたいお笑いをスタッフが理解してくれない
お笑いでもなんでも物事を創造する人というのは、本当に「産みの苦しみ」を経験する。その苦しみの中に悶え苦しんでいると言っても過言ではない。
志村さんも本当に悩み苦しんだことだろう。そして本意ではなかったけど、周りのスタッフに冷たく当たったこともあったという。よく分かる話だ…スタッフもつらかったろうけど志村さんも本当にツラかったと思う。
今の歳になると本当にこの話が心にしみてくる
吹っ切れた60代の志村さん
ある時から志村さんの顔が柔らかくなった時期がある。志村どうぶつ園など、いわゆるコントものではない番組もやるようになって数年経った頃、ある番組のゲストとしてやってきた志村さんを見た。
顔が柔和になっていた。
こんな感じ
リラックスして肩の力が抜けていたように見えた。往年の東京お笑い人、柳家金語楼、大宮敏充、杉平助、みたいに人のいい爺さんの顔になっていた。
これぞ達人だ!と感嘆した、
ああ、あんな風に歳をとりたいと思った。
志村さんは人生これからだった…
超人気者 →苦しみの時代 → マイペース・リラックス
志村さんは、本当にこれから、という時だった、、、、
志村さん志村さん志村さん志村さん志村さん
何度も名前をつぶやいてみる
噛み締めながら、呼んでいます。
志村さん、、、、、
志村さん、、、、
志村さん、、、、
志村けんさんが亡くなってもう6日。まだ悲しい。そして志村けん追悼番組を見て、今見てもこんなに面白いのに、もう志村さんに会えないと思うと…
帰ってこれないのは分かっているけど、ただただ名前を呼んでいるのだ。噛みしめながら。志村さん、、、、